オリジナル小説 アマガセ 番外編

「遠い記憶」

 部屋の中では、ユゲが大巫女の背に剣を振り下ろすところだった。
 二人の声が広間に虚しく響く。
「ユゲ……」
 オヤジ殿の目の前には、大きく肩を上下させ、荒い息遣いで立ちすくむユゲがいた。そしてユゲの傍らには深々と剣を突き立てられ、事切れている大巫女がいた。
「何でこんなっ……。どうしてお前がここにいるんだ!?」
  オヤジ殿は、ユゲの両肩をがしっとつかむと勢いに任せて揺さぶる。
「私は、お前にこんなことをして欲しくなかった。死んだお前の父親もこれで喜ぶと思っているのか!?」
  その言葉でユゲは我に返った。
「違うっ!! 俺はそんなつもりで大巫女を斬ったんじゃない。確かに、親父に無実の罪を着せて殺した大巫女は許せない。けど、だからといって殺したりなんかするもんか!!」
「どうしたものか……。大巫女を排するために、大巫女の力を封じろとは言われたが、殺せとは命じられていない」
  オヤジ殿は大巫女に目を落とし、また元に戻す。
「タイメイ殿、これでアシロの脅威は去ったのだろうか?」
  タイメイは困ったように首を振る。
「そういえば……。ユゲ、姫君はどこだ? ここにいたのだろう?」
  オヤジ殿が、ミズナミの姿がないのに気づき、ユゲに問う。
「ミズナミなら、さっきまでそこに……」
  ユゲが指差す方を見るが、そこには誰もいなかった。
――そんな、まさか。アシロは……。
  タイメイの顔つきがみるみる険しくなり、その顔色は蒼白となる。
――アシロは、ミズナミの命を狙っていたのではなかったのです。アシロが欲しいのは、 ミズナミの身体と力……。彼はきっとそのために利用されたのでしょう。
「利用されたって、俺が? アシロなんて奴、知らないぞ。誰なんだ?」
  困惑顔のユゲに、オヤジ殿がかいつまんで事情を話す。
「つまり、アシロは大巫女の身体が使い物にならなくなったから、新しい身体であるミズナミに乗り移り、不要になった大巫女の身体を最後の贄とした、ということか?」
――そうです。
 タイメイは、さっきまでミズナミがいたという場所に行き、そこである物をつまみあげて、オヤジ殿たちに見せる。
「首飾り? ミズナミがしていたヤツだろ。ミズナミが大巫女の剣をよけたとき、紐を切られて落ちたんだ。それが何か関係あるのか?」
「それは彼女の母親が、彼女を守るために残したものだ。それに宿る母親の力が一切の魔を寄せつけない。いわゆる魔除けの役割を果たしている。ただ、姫君の力を封じてしまうという弊害も生じたがな」
――でも、それのおかげで今までアシロが、ミズナミに手を出せなかったのは確かです。それに、ミズナミが水晶宮に来ずにすんでいたのも、彼女の母親が彼女の力を封じ、世間の目から遠ざけたからでしょう。もし、あのままであったらもっと早くに水晶宮に来ることになっていたかもしれません。
 ユゲはタイメイから首飾りを受け取り、それを眺める。なめらかに磨き上げられた木製の台に嵌め込まれた紅い石が、光の加減で深い色に沈む。
 その時だった。床が微かに震え、だんだんとその激しさを増していった。オヤジ殿たちは立っていられず、思わずその場所にしゃがみ込んだ。
 しばらくすると、揺れは治まったが、代わりに腹に響くような轟音がするようになった。
「何なんだ!?」
――魔を封じた封印が解けつつあるのです。
 見ると、赤黒く光っていた水晶は、今やどす黒く変色し、ところどころ小さなひびが入っている。そして、その奥にある門の閂は外れかかっていた。また、門の内側から広間中に響いている轟音がするようだった。
――封印が完全に解けるまで、まだ時間があります。それまで、何としてもアシロを見つけてください。この宮には二重の結界があって、内側のは私が張ったアシロのためのものですから、自力でアシロが外に出ることはできません。しかし、封印が解けて魔が結界を破ってしまったら、アシロが元々あったこの宮の結界を解いて、魔とともに外の世界へ出て行くことになるでしょう。
 どうかアシロを止めてください、とタイメイが言う。
「ユゲ、お前も来い」
 二人はそのまま水晶の間を後にした。残されたタイメイは彼らの背を見守り、今にも壊れそうな祭壇に向き直る。

 水晶の間を出てから何度か激しい揺れが二人を襲った。その度にユゲは、魔の封印が解かれてしまったのでは、と不安になった。
 オヤジ殿は緊張した面持ちで水晶宮の出口へと急ぐ。ユゲは黙ってその後をついて行く。しばらくの沈黙の後、オヤジ殿がおもむろに口を開く。
「姫君の首飾りは、私がお前の父親から預かって、姫君に渡した物だ」
 ユゲは時々、オヤジ殿が様々な事情に通じているのを不思議に思う。しかし、オヤジ殿は何も話さないし、ユゲも深く知ろうとはしなかった。だからユゲはオヤジ殿については、歩兵隊の一隊長であり、昔、水晶宮の警備兵であったとき、親父の同僚であったということくらいしか知らない。無論、昔のことは小さくて覚えていないので、人から聞いたことだった。
「お前も知っていると思うが、私は以前、お前の父親と同じ水晶宮の警備兵だった。だが……」
 オヤジ殿はいったん言葉を切る。
「だが、実は私もお前の父親も巡視官だったのだ」
「え?」
 突然の告白にユゲは戸惑いを隠せなかった。
 巡視官。昼と夜の近衛隊同様、王直属の部隊である巡視隊に所属する兵で、諸外国や国内各地を巡察し、王に報告する役目を負っている。
「巡視官……」
 ユゲが思わずつぶやく。
 オヤジ殿は、さらに続ける。
「私とお前の父親を含めた数人の巡視官が、王の命でここに送り込まれた。その当時は、今よりもまだましな状況で、水晶宮にも正常な人間だっていた。しかし、状況がひどいものでないといっても、やはり人がいなくなるといった異変が、ここでは既に起きていたのだ。王は、その異変の原因を突き止め、解決するように命じた」
 オヤジ殿は、淡々と語り、その声音はいたって平静であった。ところが、それとは裏腹にその顔には、過去のつらい出来事を思い出すような苦痛が色濃く表れていた。オヤジ殿の肩越しにそれを見たユゲはびっくりした。彼は一度もオヤジ殿のそういう顔を見たことがなかった。
「それからだいぶたったある日、大巫女の妹、つまりミズナミ様の母親が、大巫女を訪ねて水晶宮を訪れた。いや、訪ねるというより、大巫女によって半ば強制的に召喚されたと言った方が正しいな。それで、大巫女と姫君の母親は二人でしばらく話をしていた。しかし、その後だったよ、騒ぎが起きたのは……」
  “ミズナミの母親”と“騒ぎ”という言葉に、ユゲは胸を締付けられるような感じを覚えた。頭の中で大巫女の言葉が何度も繰り返される。
――お前の父親はなぁ、そやつの母親を庇って殺されたんだよ。事件
「私が、他の巡視官たちと現場に駆けつけた時には遅かった。そこには斬り倒された水晶宮の警備兵の遺体と、血溜まりに倒れている同僚の姿があった」
 ユゲが低く呻いた。オヤジ殿が振り返り、ユゲを心配そうに見る。
「大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」
「え? ああ、平気。それより、それで? その後はどうなったんだ?」
 ユゲの心臓は興奮と動揺で早鐘のように打ち続けた。
 とても大丈夫ではなかった。親父が死んだ原因は、さっき大巫女の口から聞いて知っているはずなのに、改めてオヤジ殿の口から詳しく聞かされると、こんなにも激しく動揺している自分がいる。
 それでも今はもっと詳しいことが知りたかった。
 ユゲは、自分が知っているのは、父親がなぜ死んだかという事実であって、今オヤジ殿が話している、父親が死に至る経緯ではないから、こんなに動揺しているのだろうと無理やり自分を納得させ、オヤジ殿に話の先を促した。
 オヤジ殿が再び口を開く。
「何が起こったのかわからなかった。大巫女は、血の海の中で凍りついたように固まっている妹君を近くにいた兵に命じて、別室へ連れて行かせ、自分も一緒に立ち去った。我々は死体を片づけるふりをして、同僚を兵舎の一室に運び込んだ。あいつは手の施しようのないほどヒドイ傷を負っていて、虫の息だった。それでも意識はしっかりしていて、しきりに何か伝えようとしていた」
 オヤジ殿はその時の様子を、今すぐ目の前で起きていることのように詳細に記憶していた。
――何てヒドイ傷だ。今手当てするから。
 オヤジ殿は、鎧を取り払われ剥き出しになっている傷口を、止血するため布をあてようとする。
 しかし彼は、傷を手当てしようとするオヤジ殿の腕を押しやった。
――聞いてくれ。全ての元凶は大巫女だ。あれは……人間じゃない。妹君を助けなくては……。大巫女が殺そうとしている。
――大巫女が!?
――それから、これを……。
 同僚は一つの首飾りを差し出した。
――ミズナミ様に。妹君に頼まれたんだ。
 同僚の震える手から、それを受け取る。
――わかった。これは私が渡しておく。だからもう話すんじゃない。傷に障る。
 そう言い、オヤジ殿は、傷の手当てをしようとする。だが、同僚はそれを拒んだ。
――いいんだ。この傷では、到底助からないだろうから。
 オヤジ殿はその言葉を否定してやりたかったが、あの傷では、たとえ手当てをしても、助かる見込みはほとんどなかった。
――それで、何があったんだ。
 オヤジ殿は静かに訊いた。
――私が……いつものように、ここの様子を探っていたら……先程まで大巫女と話していたはずの妹君が、顔色を変えて走ってきたんだ。そして私を見つけると、自分の額飾りを外し、それを私の手に……。自分では……渡せないからって。妹君は、大巫女を恐れていた。私は、彼女を安全なところに連れて行こうとしたんだが、間に合わなかった。大巫女が……!!
 彼は咳き込み、大量の血を吐いた。顔は死人のように土気色になり、その額は血と汗にまみれていた。
――大巫女が……すぐそこにい……たんだ。あとは見ての通り、この様だ。どんなに腕の悪い兵士も大巫女の手に掛かれば、無敵の戦士になるらしい。相手は五人……。だが奴らは、致命傷を負っても死ななかった。
 そう言うと、彼は視線を空に漂わせ、悲しげな笑みを口許に浮かべた。オヤジ殿は、死に向かう目の前の男を救う術もなく、ただ見守ることしかできなかった。
――……ゲを……。
――え?
 あまりにもか細く、つぶやくような声だったので、オヤジ殿は聞き取ることができなかった。
――ユゲ……息子を残した……ままだ。私には身内はいない。あいつはどうなるのだろう? まだ五つなのに……。私はまったくひどい父親だ。ろくに一緒にいてやることもできず、今またあいつを一人きりにして逝ってしまうのだから……。
――そんなことないさ……。
 そうか? と同僚は弱々しく微笑む。そして、真剣な顔で、
――お願いだ。あれを、ユゲを頼む。お前があいつの行く先を見てくれるなら、私は安心することができる。
 そう言い、じっとオヤジ殿を見つめる。オヤジ殿はそっと同僚の手を握る。
――ユゲのことなら大丈夫だ。私が責任を持って面倒を見よう。
 オヤジ殿の言葉に同僚は、その黒い瞳を大きく見開き、それから安堵したのか顔をほころばせた。
――ああ、ありがとう……。
 その夜、オヤジ殿は、同僚の遺体を水晶宮から密かに運び出した。
 水晶宮での騒ぎは、多くの人が知ることとなったが、その事実は曲げられ、同僚は大巫女とその妹君に刃を向けた大罪人とされていた。
「これが、私の知っていることの全てだ。……何でこんなことになったのだろうな。お前に話すつもりはなかったのに……」
 いささか自嘲気味にそうつぶやくと、オヤジ殿はちらと横目でユゲを見た。
 ユゲはうつむき、黙っている。
「大丈夫か?」
 声を掛けられ、ユゲは心配そうに自分を見るオヤジ殿の視線に気付く。
 大丈夫だと、ユゲは笑ってみせるが、それはとてもぎこちないものになり、オヤジ殿を一層心配させた。
「言わなかった方が良かったか?」
 オヤジ殿は立ち止まる。
 暗い廊下に薄明りが差し、出口が近いことを知らせていた。
「そんなことない。親父の死の真相がわかって良かった」
 ユゲは慌てて言うが、オヤジ殿はユゲの心を見透かしていた。
「どうしてあいつが死ななければならなかったのか、私にもわからんが、この件を解決して、真実を明らかにしてやることが、死んだあいつのためになるだろう」
 そう言い、ユゲの肩を一つ叩くと、光の方へユゲを促した。
 しかし二人が歩き出したのも束の間、すぐに止まってしまった。
 再び二人を揺れが襲ったのだ。それも今までと比べ物にならない、天地がひっくり返るような強烈な揺れであった。



 

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