オリジナル小説 アマガセ 番外編

「遠い記憶」

「ずいぶんと静かだな」
 オヤジ殿たちは取り次ぎに出た女官に案内されて、暗く長い回廊をひたすら進んだ。
 水晶宮はひっそりと静まり返り、人の気配はとんとしなかった。途中、幾人か警備兵を目にしたが、彼らからは生気を感じられず、死人が立っているようだった。
 また一段とひどくなっている。もうここには人間はいないのか?
 水晶宮には、神殿が持つ神聖さや荘厳さが既に失われ、代わりにどんな生気溢れる者でもたちどころに奪われてしまうような陰鬱さと死の臭いが漂っている。
 恐怖と緊張で背中を冷汗が流れた。
 オヤジ殿は手に持っている細長い包みをきつく握りしめた。
 やっと長い回廊が切れて、目の前に広大な闇が広がった。
 目が闇に慣れると、広間の中央に一人の女が待っているのがわかった。
「遠路はるばるご苦労でした」
 何の感情もない声、何の感情も表さない顔。胸には大巫女を補佐し、巫女たちの上に立つ者であることを示す首飾りがあった。
 オヤジ殿は目で素早く大巫女を捜した。
 しかし広間には前で立っている巫女を除いて、誰もいなかった。
「そなたの後ろにいるお方がミズナミ様か? 姫君、さあ、こちらへ。巫女様がお会いしたがっておりましたよ」
 呼ばれてミズナミは身を硬くした。巫女の側に行くことをためらっていると、巫女の方が彼女に詰め寄ろうとした。
「お待ちください」
 二人の間にオヤジ殿が、ミズナミをかばうようにして割って入った。
「何か用か、護衛隊長? そなたらの役目は終わった。姫君のことは私に任せて、早々にここから立ち去られるがよかろう」
「お言葉ですが、我々の役目は次の大巫女が決まるまでの間、ミズナミ様をお守りすることです。また、王からお預かりした物を大巫女にお渡しするよう仰せつかっております。ですから、これら二つの任務が達成されるまで、ここを去るわけにはまいりません」
 オヤジ殿はぴしゃりと言い放つ。
「そのようなことか。大巫女様の後継者にはミズナミ様しかおらぬし、また大巫女様も、そうするよう既にお心を決めておられる。王からの預かり物は、私が大巫女様にお渡ししておきましょう。これでどうか、護衛隊長?」
「ミズナミ様だけ……? ミズナミ様よりも先に他の姫君が着いていらっしゃるはずでは?」
「他の姫君とな? そのような姫君は知らぬ。先程も申したとおり、巫女様の後継者はそこにおられる姫君一人……」
 巫女は表情の乏しい顔に、わざとらしい驚きの表情を見せた。
 オヤジ殿は心の中で、チッと舌打ちをしてミズナミの側にいるための口実を考えた。
「これは失礼いたしました。では、我々はミズナミ様が無事に大巫女の位に就かれるまで、お側に控えさせていただくことにしましょう」
「何と……。そなたは、この宮の警備兵を信用できぬと申すのか?」
「警備が万全ならばなぜ、この宮で頻繁に人が神隠しにあうのでしょう? それに護衛は多いに越したことはないと思いますよ。あと、お申し出は大変有難いが、王の預かり物は、私が直接大巫女にお渡しする。何せ非常に重要な物ですから」
「ふん、好きにするがよい。姫君、こちらへ。大巫女様の所まで案内いたしましょう」
 巫女は冷ややかに言うと、もう一度ミズナミに来るよう促した。
 オヤジ殿は行こうとするミズナミの腕をつかみ、そっと囁いた。
「行ってはいけません。うまく断ってください」
 ミズナミは驚いたようにオヤジ殿の顔を見上げる。
「姫君?」
 巫女が不審そうに尋ねる。
「わっ……私は、できれば今すぐに伯母様にお会いしたいのですが、気分が優れず、お会いできそうにありません。伯母様には大変失礼なことだと思いますが、しばらく休ませていただきたいと思いますっ」

 寝台しかない簡素な部屋でミズナミが、床の上に座っていた。
 その部屋には窓が一つしかなく、光も部屋の奥にまで差し込まないため、灯がともされていたが、それでもまだ薄暗かった。
 護衛隊長をはじめとする護衛兵たちは、廊下から二間続きになっている最初の部屋に控えていた。つまり、ミズナミがいるこの部屋と扉一枚を隔てた隣の部屋におり、ミズナミが部屋を出てどこかへ行くにしても、また誰かがミズナミを訪ねてきても、必ず彼らと会うようになっていた。
 ミズナミは、これから自分の身に起こるべく不幸に沈み、ただならぬ雰囲気に包まれたこの場所をとても恐れていた。
 今、この水晶宮で何が起こっているのか、彼女には皆目見当がつかなかった。
 護衛隊長はミズナミに巫女が迎えに来ても一人で行かないよう言い、理由を尋ねてもただ自分の身が危険にさらされるからだと答えるだけで、それ以上は教えてくれなかった。
 すべてが終わればわかるってどういうことなの? 私の身が危険になると言うなら、なぜ私をこんな危ないところに連れてきたりしたの? どうして私だけが、こんなことに巻き込まれなければならないの?
 ミズナミは、この不満を彼らにぶつけてやりたいと思ったが、自分を守ってくれる人間、この宮で頼ることのできる人間は彼らしかいないことを考えると、それもできず不満ばかりが募っていった。
 唯一ある窓から生暖かい風が吹き込むと、ミズナミの白い頬をなでた。そして窓の方からギシギシと、木がきしむ音がした。
「な……に……?」
 誰かが登ってきているのだろうか?
 ミズナミの部屋は本殿から少し離れた建物の二階にあった。そのため、本殿と建物をつなぐ渡り廊下の屋根を使って、人が行き来しようと思えば難しいことではあるが、決して不可能なことではなかった。
 窓まで駆け寄って窓の下を見れば、何が登ってくるのかわかるだろう。しかし、ミズナミにはそれをする勇気がなかった。
 彼女はその場に固まったように座り込み、正体を突き止めることはもとより、助けを呼ぶために声を上げることさえできなかった。
 窓が大きな音を立てると同時に黒い影が部屋に飛び込み、ミズナミを押し倒した。
 悲鳴をあげそうになるミズナミの口を、大きな手が塞いだ。
「し―――っ」
 見覚えのある顔、聞き覚えのある声にミズナミは、ただただ相手を見つめ返すことしかできなかった。
 ユゲと呼ばれていた少年だ……。
 彼はミズナミが落ち着いたのがわかると、口を塞いでいた手を放し、彼女の上から体をどけた。
「悪かった」
 そう言うと、ミズナミの腕を引っ張って彼女を起こした。
「あなた、ユゲ……よね? こんなところで一体何をしているの?」
「ああ、俺? 俺はちょっとあんたに訊きたいことがあったから来たんだ」
「訊きたいこと?」
「そう。大巫女がどこにいるか教えてくれないか?」
「大巫女……。伯母様……」
 ミズナミは小首を傾げて考えてみる。
「わからないわ」
「わからない?」
 ユゲはおうむ返しに繰り返した。
「だって、私はまだ伯母様にお会いしてもいないんですもの。伯母様がどこにいらっしゃるかなんて、私にわかるはずもないわ。それに私に訊くよりも、この宮の人間に訊いた方が確実だわ」
「確実ねぇ……」
 ユゲは自分の頬を掻いて、ここに来るまでに起こった出来事を思い浮かべた。
 ユゲはミズナミに言われなくても、水晶宮の人間に大巫女のいる場所を訊いていた。警備兵に下仕えの女官や巫女。しかし、誰に訊いてみても結果は同じだった。
 全員が魂の抜けたみたいな状態で、うつろな目をし、本人の意思はないようだった。そして、ユゲの姿を見つけるとすぐさま襲いかかってくるのだった。
 明らかに水晶宮の人間は正気を失っていた。
 ユゲは警備兵の一人から服を奪うと、警備兵になりすまし、水晶宮中を探し始めたが、敷地が広大すぎるため、やむなく中断し、大巫女と一度でも会っていそうなミズナミに居場所を尋ねてみようと考えたのだ。
「それじゃあ、邪魔したな」
 そう言い、ユゲはミズナミに背を向け、とっとと窓から出て行こうとする。事情がわからず、ミズナミは慌ててユゲを引き止めた。
「えっ、ちょっと、そこは窓よ。出口はあっちです。護衛隊長たちも扉の向こうにいるわ」
 右手でユゲの服の裾を掴み、もう片方の手で扉を指差す。
 引っ張られてユゲは、片足を窓枠に乗せたままの姿勢で軽く振り返る。
 ミズナミの指差す先に目をやって、それから目の前にある彼女の顔に焦点を合わせると、ユゲは苦笑いをした。
「ああ、えーと、俺はこっちからでいいや。別にオヤジに報告しにきたわけじゃないし」
 それだけ言うと、またユゲは窓から出て行こうする。
 ミズナミはユゲの行動を不審に思ったが、そんなことは気にはならなかった。ただ、次の瞬間には咄嗟に思った行動をとっていた。形勢逆転
「ねえ、待って」
 ミズナミはユゲを逃がさまいとして、彼の服をつかんだ手にいっそう力を入れた。
「一体、今度は何なんだ?」
先を急ごうとするユゲは、面倒そうにミズナミを見る。
「私も一緒に連れて行って」
「はあ? 悪いけど……」
「連れて行ってくれないのなら、あなたがここにいることを護衛隊長に話します」
 ユゲは唖然として何も言葉が出なかった。まさか、あんな気弱そうな姫君に自分が脅されるとは、思ってもみなかった。
「連れて行くって、どこへ? 俺は大巫女を探しに行くんだぜ」
「水晶宮を抜け出せれば、それでいいわ」
「そんなことまだ言っているのか!?」
「約束してくれるまで、この手は離さないから」
 ユゲは仕方なく窓から離れ、ミズナミを説得しようと彼女に向き直る。
 不意に扉が開いた。ユゲははじかれたように寝台の陰に身を隠し、そこから様子を窺った。
 開かれたのはオヤジ殿たちの部屋に通じる扉ではなく、壁に造られた隠し扉だった。一見、普通の木の壁にしか見えないそれは、この宮の人間でなければわからないほど、よくできていた。
 壁にぽっかりあいた黒い穴から数人の警備兵と先程の巫女が出てきた。
「姫君、私どもと一緒においでください」
 顔に薄っぺらな笑みを浮かべ、優しい口調で巫女はそう言うが、きつい印象と、どこか人間ではない感じを与えた。
「それなら護衛隊長も一緒に……」
 ミズナミはじりじりと後ずさり、勢いよくオヤジ殿たちがいる部屋の扉へと走る。
 だが、警備兵が彼女を取り囲み、その内の一人が彼女を羽交い絞めにしてしまった。そして叫べないように口をふさぐと、巫女のところに連れて行った。
 巫女はそれを見るとすぐさま隠し扉へと入り、その後にミズナミを連れた警備兵たちが続いた。それからやや間を置いて、隠し扉が自動的に閉まり始めた。
 一連の出来事を見ていたユゲは、寝台の陰から飛び出すと彼らのあとを追って、隠し扉の中へ入って行った。


 

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