オリジナル小説 アマガセ 番外編
「遠い記憶」
5
東の空がだんだんと明るくなり、出発の時刻が迫ってきた。兵たちはもう起きていて、準備に追われている。
そのような中でオヤジ殿が、はあ、と大きく溜息をつくのが聞こえる。
オヤジ殿は昨夜からずっと考え事をし、ろくに眠っていなかった。そのせいもあってか、オヤジ殿の顔色は悪く、ひどく疲れているように見える。
「やはりユゲにとって、私は他人でしかないのだろうか?」
オヤジ殿の頭を悩ましているのは、ユゲと彼の父親が亡くなった事件であった。
ユゲはオヤジ殿の本当の息子ではなく、彼の父親は、オヤジ殿が水晶宮の警備兵であった時の同僚であった。
ユゲの父親は、オヤジ殿と同じく中央から派遣された者で、オヤジ殿とは親しかった。しかし彼は大巫女殺害を企み、その結果、他の警備兵や大巫女の護衛兵たちと一戦交えることになり、その際に負った怪我が元で命を落とした。
あとにはユゲが一人残されたが、父親の他に親族はなく、また大罪人の子供であるということで、人々はユゲを蔑みこそすれ、面倒を見るということはなかった。そんな中、オヤジ殿だけが、彼を引き取り育てたのだ。
それは、死ぬ間際に残した同僚の最後の頼みであったからというよりも、ユゲを養子にすることで、世間のひどい仕打ちから庇ってやらなければならないという気持ちの方が強く働いたからであった。彼の父親がどんな人間であったか、その父親がなぜあんな事件を起こすことになったのか、人々は知らず、ただ事件の上っ面だけを見て、ユゲを責めるのだった。
オヤジ殿が、ユゲを引き取った理由が何であったかにせよ、オヤジ殿には子供がいなかったから、今ではユゲは、実の息子と変わらない存在になっていた。だからこそ、自分の息子がみすみす破滅へ身を投じていくのを、黙って見ていることができなかったのだった。
ユゲをあそこに近づければ、どうなるかくらい容易に想像することができたオヤジ殿は、ユゲが水晶宮に近づく機会をことごとく潰してきた。何が何でもユゲをあの不吉な場所に近づけるまいという一心でやったことであった。
それに今までの苦労は、今回の任務の遂行のためにあったわけで、ユゲを彼の父親のように事件に巻き込み、失うためではなかった。
色々と考えている間に、出発の時刻になっていた。オヤジ殿は一つ溜め息をついて、兵たちが集まっている場所に足を向けた。ユゲに命令を下すために。
オヤジ殿が重い足取りで歩いていると、横から自分を呼ぶ声がした。オヤジ殿は足を止めて、声がした方に向き直る。
「ユゲ……」
そこにはユゲが立っていた。
「……オヤジ、俺、よく考えたんだけど……」
ユゲはためらいがちに話し始める。
「やっぱ、オヤジの言うとおり侍女たちを町まで送ってくるよ。何て言うか、昨日は親父のことで頭に血が上っちゃって、冷静に物事を判断できなかったからさ。それでオヤジにもひどいこと言っちゃって、悪かったって思ってる……」
「…………」
「だから町へは俺が行くから、オヤジは心配せずに任務を果たしてきてよ」
最初は申し訳なさそうに視線を落として話していたが、最後は心配させまいとしてか、くしゃっとした笑顔をオヤジ殿に向けた。
「……そうか。お前がそう言うのなら、私も安心して任務を果たすことができる」
そうは言ったものの、本当はまだ引っ掛かっているものがあって安心はできなかった。しかし、だからといって安心できるまで、ユゲを問い詰めるような真似はしなかった。
彼がなぜ素直に言うことを聞くようになったかということよりも、彼を隊から外すことの方が大事だからだ。
「他にも兵はつけるが、気をつけて行け。それから……」
「それから?」
「それから、私が帰ったら全て教えてやる。だから今は余計なことはするな。いいな?」オヤジ殿は、ユゲたちがちゃんと町へ向かったのを見届けてから、兵を出発させた。
町へ向かった兵は、ユゲを含めて五人だったが、全員がオヤジ殿の信任が厚い者だった。彼らがユゲと一緒に行ってくれているので、オヤジ殿もいくらか安心して先を目指すことができた。
「隊長、何かあったのですか? こんなに兵を急がせて……。途中、兵の数が減ったことは予定外でしたが、それによる予定の遅れは出ていませんよ? 遅れが出るどころか、予定よりもだいぶ早いくらいです」
副隊長が馬を駆ってオヤジ殿と肩を並べる。
「疲れたか?」
「いいえ、そういうつもりで言ったわけではありません。私たち兵はまだ大丈夫です。けれど、ここまで一度も休みを取らずにきましたから、姫君はお疲れになっているのではないでしょうか?」
あたりは鬱蒼と木々が茂り、今が昼であるのに、まるで夜のように暗かった。そんな中をずっと走り続け、今では水晶宮がすぐ近くに見える距離まできていた。
「先に行っている連中からの連絡が急に途切れた。それにこちらから向かわせた連絡の兵も戻ってこない……」
「それは……」
副隊長が顔に不安の表情を浮かべた。
「不安を顔に出すな。覚悟だけしておけ」
「報告は本当だったようですね」
「そのようだな。しかし、姫君がこちらの手の内にあれば、まだ何とかできるだろう。よし、このあたりで一度休みを取るぞ。これからに備えなければならないからな」
オヤジ殿は馬首を返して兵を止める。そして兵たちに休むように言う。
「ユゲがいなくて本当、正解だったな……」
「は? 何か……」
副隊長が不思議そうな顔をしていた。
「いや、何でもない。それより、必ず姫君には兵をつけて、絶対に目を離さないようにしてくれ」
オヤジ殿は馬を下りながらそう言い、一点を見つめた。その目は遠くで不気味にそびえ立つ水晶宮を捕えていた。