オリジナル小説 アマガセ 番外編
「遠い記憶」
2
「あっ、雨だ」
今日もアマガセの国に雨が降り注ぐ。
首都サンソルガにある王宮で、ユゲはいつも通り警備にあたっていた。
水の季節が終わり、火の季節に入ったばかりだというのに、雨は毎日降り続けた。
ユゲは、次から次へと空から落ちては地へ吸い込まれていく水滴を眺めていた。
と、そこへ、
「ユゲ!!」
大きな声が響き、静寂が破られた。
同僚の兵士だった。
「なんだ? もう交代の時間か?」
「ばか言え! 交代まであと2時間ほどあるだろーが!!」
「じゃあ、一体何しに来たんだ?」
「ひでぇなぁー。せっかく知らせに来てやってんのに……」
ぶつぶつ言ってはっきりしない同僚に、ユゲは少しイラつきそうになる。それを察してか、彼はやっと本題に入った。
「ついさっき発表があって……」
「発表?」
「そうさ、巫女姫の護衛隊のだよ」
「ああ、あれね。それで?」
「ユゲ、お前もそれに選ばれてたぜ」
「本当か!?」
ユゲは、一瞬自分の耳を疑った。
「ああ、間違いないさ。もうじき正式にお呼びがかかるんじゃないかな」
同僚の言った通り、ユゲはその後すぐ、上官に呼び出された。「よってお前たちは、巫女姫を水晶宮まで無事お連れするための護衛として選ばれた。明日、水の国へ向かって出発する。速やかに準備を調えるように!」
出発までまだ何時間もあったので、ユゲは仮眠をとろうと王宮の外にある家へ向かった。
いつの間にか日が暮れ、あたりは闇に包まれていた。そして、ついさっきまで降り続けていた雨もぴたりと止み、雲間から月が顔をのぞかていた。
何が明日出発だ! あとほんの数分で日付は変わる。出発は、もう今日じゃないか!
念願だった護衛隊に選ばれたのは嬉しかったが、あまりにも上官の話が長かったせいか、ユゲは行く前から疲れたような気がした。
ユゲがしばらく歩いていると、思いがけず珍しい人物に出会った。
相手はユゲに気づくのに少し時間がかかったが、ようやくわかったらしく声をかけてきた。
「ユゲじゃないか!! 久しぶりだな! 元気だったか?」
幼馴染のオギだった。彼はユゲと同じ年で、近衛の兵をしていた。
「それにしても、こんな時間にこんなところで何してんだ?」
オギは不思議そうに訊く。それもそのはずである。本来ユゲの仕事は、昼間の王宮の警備であって、夜間は別の者が担当するからだ。
「さっき、やっと打ち合わせが終わったんだ」
「打ち合わせ?」
「護衛隊のだ」
「ああ、それか。それは大変だな。宮廷じゃその話で持ち切りだよ。誰が大巫女になるのかってな。……けど、ユゲ、お前本当に選ばれたんだな」
「当たり前だ!! あの後も剣の腕はまだ落ちてねーよ!」
二人はかつて同じ部隊、つまり歩兵隊にいたのだが、剣の腕が認められ、夜の近衛隊であるゲレフに編入することになったのだった。しかし、ユゲはその誘いを頑なに断り、歩兵隊にいることを選び、今に至っている。
「お前の剣の腕を疑って言ってるんじゃないんだ。お前の剣の腕がいいのは俺がよく知ってる。俺が言いたいのはそうじゃなくて……」
「そうじゃなくて……?」
「いや、いい。とにかく選ばれて良かったな」
「オギ?」
「そういえば、いつ見ても重そうだな、それ」
オギは急に話を逸らす。
「……確かにな。お前のそれより重いさ。お前も知ってるだろ」
歩兵隊は近衛隊と違って重装備である。頭のてっぺんから足のつま先まで、全て銀色の鋼で包まれているのだ。これでは重装備というより完全装備といったほうが正しいだろう。
それに比べ、近衛隊の装備といったら、胸甲、手甲、膝当て、それに兜くらいである。兜といっても張りのある厚手の布でできていて、面頬だけが鋼であった。しかも、その面頬も顔を保護するためのものではなく、顔を隠すためのものである。
「本当、軽そうでいいな」
「そうか? それならお前もあの時、こっちに入ればよかったのに。でも、まぁ、入らなくて正解かもな。仕事は忙しいし、軽装備も楽なことばかりじゃない。これだと軽くて動きやすいけど、攻撃を受ければひとたまりもないんだから」
そんなことを笑いながら言い、オギは面頬を上げた。
久しぶりに見たオギの顔は、昔と少しも変わらず、鳶色の瞳に少し緑がかった茶色の髪が印象的である。しかしよく見ると、オギの顔はあちこち傷だらけになっていた。
「どうかしたのか? ……ああ、この傷? ひどいだろ。この前の王宮での騒ぎでやられたのさ。まったく、防具なんて役に立たない。腕甲をしているのに、腕甲ごと切られたんだぜ。幸い腕は切り取られなかったけどな……」
オギは腕甲を外し、ユゲに見せた。ひどい傷である。かすり傷や内出血をして黒ずんだところがあちこちにある。腕甲ごと切られたというところは包帯をしてあったが、傷口がまだふさがっていないのだろう。包帯に血が染みていた。
「無事でよかったな」
「俺もそう思う。あの騒ぎで熟練の近衛兵が三人やられたんだ。俺なんかこんな傷だけで良かったと思うよ」
「そうだな」
「さて、俺はもう行かなきゃ。仕事の途中だ。それにお前も明日、いやもう今日か。出発、早いんだろ? それまで少しでもいから寝といたほうがいいぞ」
「ああ、そうする」
ユゲがオギに背中を向け、歩き始めると背後からオギの声がした。
「本当に気をつけろよ。絶対に余計なことはするんじゃねーぞ!」
ユゲは王宮を後にすると、足早に家へと向かった。