オリジナル小説 アマガセ 番外編
「遠い記憶」
11
何もないがらんとした庭を走る影があった。人影が向かう先には、水晶宮と外界を隔てている大門が見える。急ぐその人影を、後を追ってきた別の人影が止める。
「やっと見つけたぞ、アシロ!」
アシロと呼ばれた人影は、ゆっくりと振り返り、ユゲと対峙した。
振り返ったのはミズナミであって、ミズナミではなかった。確かにユゲの目の前にいるのは、ミズナミである。しかし、怯えたところは少しもなく、冷ややか目でユゲをじっと見据える様は、尊大さと冷酷さを感じさせ、ミズナミではない全くの別人であることを示していた。
アシロは、侮蔑を含んだ笑いをうっすらとうかべる。
「おや、誰かと思ったら小僧、お前か。何しに来たのだ?」
「魔物退治に。アシロ、ミズナミの身体を返せ!」
「はんっ、魔物退治とは笑わせる! たかが人間の小僧一人でこの私にかなうと思っているのか?」
「やってみなきゃ、わかるものか! そっちこそ、たかが人間の俺と戦うのが恐いんじゃないのか?」
ぎらぎらと瞳を光らせ、威圧するアシロに負けじとユゲは言い返す。
「いいだろう。少しお前の相手をしてやろう。しかし後で後悔することになってもしらぬぞ」
そう言うと、アシロの影から次々と魔物が飛び出した。
ユゲは、魔物の数をざっと数えた。二十ばかりの魔物が、ユゲめがけて向かってくる。巨大な虎、蝙蝠のような翼を持った鳥。どれも珍しくない魔物だが、明らかにそのあたりのものとは、桁違いに強いのが見て取れた。
ユゲは、オヤジ殿から渡された剣を抜く。それは長剣ほど長くはなく、かといって短剣ほど短くもなく、軽く、そして不思議なほどユゲの手になじんだ。しかし、ガラス細工のような刃は見るからに脆そうであった。
自分の剣を使おうかとためらうユゲに構わず、魔物は襲いかかってきた。一瞬、ユゲは出遅れた。地を蹴り、身を躍らせて飛びつく虎をぎりぎりでかわしたが、その直後に鳥が、鋭い鉤爪を向け、急降下してきた。
動きが敏捷で、絶え間なく攻撃してくる魔物たちをユゲは、なかなか仕留めることができなかった。それどころか攻撃をかわすので精一杯であった。
しくじらずに生きて戻れ?
オヤジ殿の無理難題に笑う。
身体が重く感じる。動きが鈍く、特に足が思うように動かなかった。さっきの妖虎の攻撃を防ぎきれず、その爪を足に受けたのが原因だった。
それほど深い傷ではないが、妖鳥の爪には毒がある。足の傷から入った毒が、じわりと少しずつ全身に回っていく。
見れば、遠くで悠然と構え、ユゲの様子を眺めていたアシロが、くるりと背を向けその場を去ろうとしていた。
「アシロ……。待てっ!」
目の前にいる妖鳥を斬り落とし、さらに襲ってきた獣の頭に剣を突き立てる。その勢いでユゲは行く手を阻む魔物たちを倒し、アシロを追いかける。魔物の数が減っていく一方、ユゲの傷は増えていく。それでもユゲは戦い続ける。
魔物の数が半数に減った時だった。斬った魔物の血で滑りやすい地面に足を取られ、ユゲの体勢が崩れたところを虎が体当たりを食らわした。
ユゲは弾き飛ばされ、地面に倒れ込む。そこをすかさず残りの魔物が襲いかかった。
「うわあああ――!!」
よけることも防ぐこともできず、やられるとユゲは思った。
瞬間、辺りをまぶしい光が包み、純白な世界を作り出すとすぐまた元の世界に戻った。
眼前に迫っていた魔物が全て消え去り、とっさに身を庇おうと上げた右腕が、ほのかな白い光に包まれていた。正確には腕ではなく、剣が柔らかな光を放っていたのだ。
「何が、起こったんだ……? 魔物は……」
――この剣はどんな魔力も無力化させる。
ふと、オヤジ殿の言葉を思い出し、納得する。
魔物は魔力を力の源としている。そのため魔力を失えば死ぬ。恐らくこの魔物たちも、剣によってその魔力が無力化され、消滅してしまったのだろう。
「一瞬で魔物を消滅させるとは、大した剣だ。だが小僧、その剣で私を斬れば、この小娘の身体も傷つくぞ。それでもいいのかえ?」
「何だって? そんなはず……」
「嘘だと思うなら斬ってごらん」
「そんなこと、騙されないぞ!!」
ユゲは剣を振り下ろす。切っ先がミズナミの肩口をかすり、服を裂いた。腕を鮮血が伝い、地に落ちる。服の裂け目から徐々に服が赤く染まっていく。
「そんな……!?」
アシロが薄笑いを浮かべる。
「だから言ったろう。私を斬ることはこの小娘を斬ることと同じだと。私がこの身体にいる限り、この小娘と私は同じ運命なのだ。どうだ、それでもまだ私を斬るか……? いや、お前には無理だねぇ。お前に私は斬れない」
息をのみ、ユゲはアシロを見る。アシロの眼差しの底からは、不敵な光が浮かび上がっていた。
「残念だねぇ」
そう言い捨てて、アシロはゆったりとユゲから離れて行った。ユゲは、どうしようもなく、ただアシロの背中を見つめていることしかできなかった。
どうすれば。どうすればミズナミを救うことができる? アシロをミズナミの身体から追い出すには、どうしたら……。
何となくポケットに手をやると、指先が固い物に当たった。
これだ。これなら、アシロをミズナミの身体から追い出せるかもしれない。何もしないより、試してみる方がましだろう。
ユゲが取り出したのは、ミズナミが落とした首飾りだった。この首飾りは、今までミズナミをアシロから守っていた。
「アシロ!!」
「お前は、私を斬るのか!?」
駆け寄るユゲを見て、アシロが驚愕の声を上げる。
だが、ユゲは剣を捨て、両腕を伸ばし、アシロを引き寄せた。アシロは、最初呆気にとられていたが、ユゲの手の中にある物に気づき、じたばたもがく。
「は、放せ!」
アシロは身をよじったり、ユゲの腕をほどこうとしたりして逃れようとする。
「くっ、放さぬか!! 放さねば、お前の命はないぞ!」
「絶対に、絶対に放すものか! 殺されても、ミズナミの身体からお前が出ていくまで放さないからな!!」
アシロは苦悶の表情を浮かべ、ユゲの言葉に怒り狂ったように何かわからない言葉をわめきちらした。
すると、ユゲの背中を二、三度鋭い痛みが襲った。
「痛っ……」
背筋を温かいものが伝う。
だが、ユゲは痛みに顔をしかめたものの、決してその腕からアシロを逃がさなかった。
ユゲにきつく抱き締められ、押しつけられた首飾りを身体から遠ざけることができないアシロは、遂に耐えられず身体を捨てて飛び出した。
肉体を持たないアシロは幼い少女の姿をした黒い靄だった。それが一目散に大門へ駆けて行く。ユゲには彼女を追いかけて斬るだけの体力は残っていない。
ユゲは足元の剣を拾い上げ、なかば混濁する意識の中、最後の力をふりしぼり、アシロめがけて投げつけた。
放たれた剣は一直線に矢の如く飛んで行き、アシロの身体を貫く。
――ぎゃ…ぎゃあああああ……
断末魔の叫びが響き渡り、再び純白な世界が訪れる。しかし、今度はすぐには元に戻らず、しばらくの間、その状態が続いた。
純白な世界は全てを消し去っていった。地面に役目を終えた剣の柄が、ぽつんと落ちていた。
膝が崩れ、前のめりに倒れたユゲは、その場から動くことができなかった。すっと目の前が暗くなり、意識が遠のいた。