オリジナル小説 アマガセ

第1話 「すべての始まり」

 

翌朝、カスガは、ベッドの中にまで潜り込んでくる冷気に起こされた。
 部屋の中は凍てつくように寒い。暖炉には少量の熾きがあるばかりで、少しも部屋を暖める役には立っていなかった。窓からは昇ったばかりの朝日が、弱々しい日差しを投げている。
 そろりとベッドから起き上がり、カスガは、ウールのチュニックを身に着け、革の帯を締める。隣のベッドでは、オギが寝ていた。
「この寒いなかでよく寝てられるな」
 オギの寝顔を見て、呆れたように言う。
 そしてカスガは、暖炉の火をおこすと、外套と長剣を持って部屋を出て行った。

 

厩には黒馬と栗毛の馬の二頭がいた。黒馬に近づき、カスガが首筋を優しく撫でてやると黒馬は嬉しそうに嘶く。手早く自分の馬とオギの馬に飼葉と水を与えた。
 カスガは、かじかむ指に息を吐きかけ温める。瞬間、吐き出された息が、白い靄をつくり、また消えていく。
「休息を取れと言うなら、もっと過ごしやすいところにしてくれればいいものを……」
 こんな寒い季節に、王都よりもさらに寒い地へわざわざ来るはめになったことを恨めしく思った。
 寒いのは苦手である。剣を扱うにも、弓を引くにも、寒さで身体が思うようにならない。自分の身体なのに、言うことをきかなくなるのが何よりも嫌であった。
 しかし、オギに言わせれば、夏のうだるような暑さに比べれば、冬の寒さの方がはるかに過ごしやすいそうだ。夏の燃えるような日差しは、気力を根こそぎ奪い取ってしまうらしい。そうなれば、身体を動かすどころではなくなってしまうから、少しくらい動かせなくなる冬の気候の方が断然ましだと言うのである。
 眩しいくらい、朝日が降り注いでいる。だが、どうせならばオギが嫌う、夏の太陽の光が、今ここに降り注いで欲しかった。 
 厩から出ると、ちょうど宿の女将が家畜たちに餌を与えているところであった。
「まあ、旦那。おはようございます。もうお目覚めですか?」
 乾燥させたトウモロコシが一杯入れられた篭を左腕に抱え、女将は、右手で掴んだ餌をまくのも忘れて言った。女将の足元で数羽のニワトリが餌をまかれるのを待っていた。
「もう少し、ゆっくり起きてこられるものだと思っていましたんでね、ほら、昨夜はとても遅かったでございましょう。お連れの旦那も、もうお目覚めですか?」
 女将は、カスガが何も言わないうちに一人納得した顔をする。
「では、すぐ朝食の支度をいたします」
 右手の餌をまき、前掛けの裾で手を軽く払うと、女将は篭を抱えたまま勝手口の方へ消えていった。
「オギ。そこにいるのだろう?」
 呼ばれてオギが、厩の陰からひょっこり顔を出す。
「やあ、おはよう」
「さっきからそこにいたのなら、自分の馬の世話くらい自分でやったらどうだ?」
「いやぁ〜、カスガちゃんがやってくれるみたいだったから、ご好意には甘えておかなくちゃ悪いかなと思って」
 オギは笑って肩をすくめてみせる。
「そんなことより、早く行こう。朝飯が待ってる」
 はぁ〜とカスガは、溜め息を漏らす。この男といると、いつもこうである。いつの間にか相手の調子に乗せられ、ペースを狂わされるのだ。
「何やってんだ、ほら、早く」
 カスガは、再度溜め息を漏らした。
「昨日は、一騒動あって、あんなにへろへろだったのに、何でそんなに元気なんだ?」
 溜め息混じりにつぶやくカスガに、オギが得意そうに言う。
「まさか! 男たちと一戦交えて、人、一人抱えて山の中腹から麓まで一気に滑ったんだぞ。体中痛いし、それに、二日酔い。もうぼろぼろだ」
「それはお気の毒に。だが、二日酔いなのは、あんなに酒を飲みすぎたからだろう? 自業自得だ」
「あれ、心配してくれないの?」
 カスガは、これ以上オギの相手をしていられないとばかりに、これには答えず、すたすたと歩いていく。
 オギが、ゆっくりだが大股でカスガの後を追いかけ、やがて二人は肩を並べて歩くようになった。
「昨日の助けた少年は、どうするつもりだ?」
「うん? 昨日の少年? ……どうしたらいいと思う?」
「どうしたらって、何も考えずに助けたのか!?」
「普通、人助けするのに考えたりしないだろう? まして命の危険があったのに、いちいち考えてられるわけないだろ」
「それもそうだが……」
 カスガは頭を抱えたくなる衝動を抑え、気を取り直して訊く。
「村人じゃないのか?」
「違うだろう。村人ならここの女将が知らないはずがない。よそ者の俺でさえ三日もしないで、村人全員の顔を覚えたくらいだからな。それに、もし村人がさらわれたんなら、村中大騒ぎしてるはずだ」
「となると、あの男たちは、人さらいの山賊ではない、ということか?」
 カスガもオギも、少年を追っていた男たちは、てっきり山賊で、村人の少年をさらったものだと思っていた。
 アマガセ国の王都周辺では、軍の目が厳しく山賊は出没しなくなったが、山賊そのものがいなくなったわけではなく、王都から少し離れた地方の山中では、いまだに山賊が出没することがあった。彼らは、村を襲い家畜や女、子供を奪っていく。家畜は自分たちの食料に、さらった女、子供は人買いに売り渡すのである。
「どうかな? 別の村でさらわれて、途中逃げたのかもしれない」
「本人に訊けば、手っ取り早いだろう」
「そりゃそうだ」
 二人の会話はそこで一旦途絶えた。

 

食堂は、玄関を入った一階のすぐ右手にあった。食堂といってもそれほど広いものではなく、食べる所と厨房が一緒であった。中で女将が忙しそうにしていた。
「ああ、旦那方、準備はできてますよ」
 テーブルには、バスケットに入った焼きたてのパンとチーズ、茹でたイモを潰し、豚肉のソーセージと和えたものとスープ皿が並べられている。女将が、よく煮込んだ野菜のスープを鍋から皿によそうと、食欲をそそるいい匂いが立ち込めた。
「うまそうだ」
 テーブルにつくなりオギは、目の前の食べ物を片っ端から平らげ始めた。テーブルを挟んで向かい側に座ったカスガは、食事を取りながらそれを呆れたように見ていた。
「二日酔いではなかったのか?」
「何?」
「二日酔いで気分が悪いはずなのに、どうしてそんなに食欲旺盛なんだ?」
「ああ、確かに二日酔いだよ。けど、気分が悪いなんて一言も言ってないだろ。昨夜、えらい運動したんだ。消化した分、食べなきゃ身体がもたないじゃないか。女将、スープのおかわり」
「…………」
 オギは、脇目もふらずに、ひたすら食べ物を胃袋に詰め込み続ける。
「あれ? もう食べ終わったのか?」
「一通り食べれば十分だ」
「なら、そのパンもらっていいか?」
 相手の返事を聞くこともなく、オギはパンを口に運んでいた。厨房の片隅では、女将が苦笑いをしていた。
「女将……」
 カスガが女将に声をかける。
「はい、何でしょう?」
「昨夜連れてきた少年は、どうしている?」
「たぶん、もう起きているでしょう。あの、旦那……」 
「……?」
 言い淀む女将にカスガが怪訝そうな顔を向ける。

 

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