オリジナル小説 アマガセ

第1話 「すべての始まり」

 

女将に案内されて、少年の部屋に来た二人は、部屋に入るなり言葉もなくその場に立ち尽くしていた。
「オギ、お前が助けたのは少年だったな?」
 口を開いたのはカスガだった。
「見た限りでは」 
 血色の良い白い肌、ふっくらと初々しい頬は薄紅に染まり、柔らかな栗色の髪が縁取っている。今二人の目の前にいるのが、粗末な格好をした昨夜の少年と同一人物とはとても思えなかった。
「これはどういうことだ? 説明してもらえると嬉しいのだが……」
「いたって簡単、俺が助けたのは、少年の格好をした女の子だったってことだろ」
 少女は、ベッドに腰掛けて窓の外を眺めていたが、急に現れた二人の男に驚き、怯えるようにベッドの隅で小さくなってしまっていた。
 しかし、それでも吸い込まれそうに大きな少女の灰色の瞳は、二人から離れることはなかった。
「名前は?」
「あー、ダメダメ、そんなんじゃ」
 ベッドの脇でカスガが、つっけんどんな口調で訊くと、オギが割って入った。挿絵 カリス
 カスガは任せたとばかりに場所を譲ると、自らはオギの後ろに控えた。
「どこも痛いところはない? 昨日のこと覚えてる?」
 オギは、少女の警戒を解くようにベッドの脇に屈み、少女の目線で話しかけた。すると、おずおずと少女が口を開く。
「ええ、少し頭が痛いけど、怪我はしていないわ。ねえ、ここはどこなの? 昨日のことって?」
「そうだな、頭が痛いのは昨日、下り坂で足を滑らせて、その時頭を打ったからだな。大きなこぶができてる。ここは、君が逃げてた山のすぐ近くにある村の宿だ」
 オギの説明に少女が不安そうな顔をする。
「私が逃げる? 何から?」
「……覚えてない? 昨夜、君は男たちから逃げていたんだ」
 少女は記憶を手繰り寄せようとするかのように、考え込んだ。
「じゃあ、君の名前は? 俺はオギ。で、後ろで仏頂面してるのがカスガだ」
「私の名前? 私は……カリス。そう、カリスよ」
「カリス?」
「カリス・何という? 名前の他に姓があるだろう?」
 オギの後ろからカスガが口を出す。
「姓……?」
 カスガの言葉に少女はうつむき、首を横に振る。
「女将、彼女が着ていた服は? 何か身元のわかるようなものは持っていなかったか?」
 言われて女将が少女の服を持ってくる。少女の身体には少し大きい粗末な上衣とズボン、幅広の皮紐、それに髪を包むのに使っていた長い布。どれも薄汚れて擦り切れていた。
 カスガは少女の持ち物を丹念に調べた。しかし、そこには彼女の身元を教えてくれるようなものは何もなかった。
「あの、旦那。あの子はどういった子なんです?」
 話を聞いていた女将が心配そうな様子で、そっとカスガに訊く。
「なあ、女将。相談したいことがあるのだが……」
 そう言い、カスガは女将を部屋の外に連れ出す。
「ひょんなことから、私の連れがあの少女を助けたのだが、私たちは明日にでも王都に戻らなくてはいけなくてね。彼女を家まで送り届けてやりたいが、名前しか分からないのではどうしてやることもできない」
 開け放たれた扉から、肩越しに部屋の中を窺い見ると、オギがしきりに少女に話しかけていた。
「彼女の身元がはっきりするまでの間だけでも、世話をしてやってくれないか」
「けど、旦那。あの子は男たちに追われていたって言うじゃあありませんか。ただの迷子なら、私だって言われなくても面倒を見てやろうと思いますよ」
 カスガの提案に女将は難色を示す。
「もちろんタダでとは言わない。それなりに謝礼はする」
「見ての通り、この宿には私の他には、たまに手伝いに来てくれる村の人しかいないんですよ。あの娘を捜しに男たちに押しかけられちゃ、たまったものじゃありませんよ」
 厄介ごとを背負い込むのは、嫌なのであろう。女将は頑として首を縦に振ろうとしなかった。
「そんなに言うなら、神殿か医者のところにでも連れて行ってごらんなさいな。事情を説明すれば何とかしてくれるかもしれませんよ?」
 カスガは女将にこれ以上頼むのを諦めた。部屋の中では、相変わらずオギが少女から何か情報を聞き出そうと苦心していた。けれど少女は、オギの質問に首を振って答えるばかりであった。
「カスガ、やっぱり何もわからないって。カリスって名前以外、何も覚えていないみたいだ」
 部屋に戻ってきたカスガにオギが、振り返りざまそう言った。
 その少女がわざと知らないふりを装っているのでは、と言葉にしかけ、カスガは口をつぐむ。少女の頬を涙がとめどなく伝い、膝に置かれた手の甲を濡らしていた。
 慌ててオギが少女に優しい言葉をかける。その一方でカスガは、何の解決法も見つけられないことに苛つき、深く息を吐いた。
「泣いても何の解決にもならないぞ。名前の他に覚えていることは本当にないのか?」
「そんな言い方しなくたって……」
 オギがカスガを咎めた。少女は途方に暮れた表情で灰色の瞳を翳らす。ふと、カスガの目が少女の首に留まる。
「それは?」
「それ?」
 オギが不思議そうに問い返す。
「首に何を下げている?」
 少女の服の襟元からは、髪に隠れるようにして茶色の紐がのぞいていた。
「ちょっとごめんよ」
 オギが手を伸ばし、少女の首から目的の物を取る。出てきたのは、透き通った雫形のガラスの先を銀の金具にはめ込み、茶色の紐に通しただけの簡素な首飾りであった。安物の紐にただのガラス、くすんではいるが金具の銀だけが本物という何とも不自然な組み合わせだった。
「宝石になら金とか銀の金具を使うけど、ふつう、ただのガラスに銀なんか使うか?」
 オギが、首飾りのガラスを指先でくるくる回しながら、何か目立った所がないか見る。透明のガラスが、オギの指の動きに合わせて様々な色の光を乱反射する。
「ん? 何か彫ってある。文字かな? それともただの模様か?」
 黒ずんだ銀の金具をこすると小さな文字が浮かび上がった。
「……何て彫ってあるんだろう。文字……? だとしても俺には読めないな。神官文字みたいだ」
「……カリス・ファノンだ」
「……?」
 いつの間にかカスガが、オギの肩に寄りかかり、首飾りをのぞき込んでいた。
「カリス・ファノン。最初の方にそう彫ってある。あとは不鮮明で読めない」
「それって、彼女の名前?」
「さあ? だが彼女の名前がカリスだと言うのなら、その可能性の方が強いだろうよ」
「カリス、ファノンって名前で何か思い出さないか?」
 少女は首を左右に振る。
「ファノン家……。カスガ、聞いたことあるか?」
「アマガセの貴族にファノンなんて者はいない。貴族以外の裕福な平民にも聞かない名前だな」
「カリスが裕福な家の娘とは限らないんじゃないのか?」
 いいか、とオギの手から首飾りを取り上げ、カスガは言った。
「この飾りの部分、何だと思う?」
「何って、だからガラスだろ?」
「いいや、魔法石だ」
 へえ、これが、と興味深そうにオギは首飾りを見る。
「それも、かなり珍しいやつだ」
「俺にはただのガラスに見えるがな」
 魔法石のことなどわからない少女は、きょとんとして二人のやり取りを見ていた。自分の首飾りの何がそんなに価値のあることなのか理解できないようだった。
「魔法石って何?」
 少女が躊躇いがちに訊くと、カスガは愛想のない表情で答える。
「魔法石というのは、名前についているように魔力を持った鉱物のことだ。その石の持つ属性によって、効果は様々だ。一般的には、魔力を持たない人間が魔法を使うために、また魔力を持つ者でも、己が魔力を増強させるために使ったりする。魔法石と言っても質の良いものから悪いものまであるが、どんなに安いものでも宝石を買うよりも高くつく。裕福な家の者でなければ、持つことはできない代物だ」
 そう説明されても、少女にはいまいちぴんと来ないようであった。
「お前が持っている首飾りからは、微力の魔力しか感じないが、見たところ光の属性の石だ。火・水・風・土といった他の属性の力を好きに使える。滅多に出回らない貴重なものだ」
 カスガの説明を聞いたオギは、表情をぱっと明るくし、少女の両手を取る。
「カリス、良かったなあ! そんな珍しい石を持っているなら、そこから身元がわかるぞ! そうだろ、カスガ?」
 カスガは、ああ、と気のない返事をすると、
「どこも怪我をしていないなら、出掛ける仕度をしておけ」
 と、言い残して部屋を出て行った。
「おいっ!?」
 オギが急いで後を追う。
 カスガは、部屋で荷物をまとめていた。
「おい、カスガ! どうするつもりだ?」
「決まっているだろう。神殿へ行くんだ」
「神殿へ? そんなところに何の用だ?」
 カスガはオギの方を振り返りもせず、淡々と答える。
「あの少女を保護してもらいに。民の救済は神殿の役目のひとつだ。少女の首飾りから身元を割り出すことくらい、神官どもにもできるだろう」
「そうか? こんな地方の神殿の神官が、そんなことできるとは俺には思えないけどな」
「できないなら、できないで、上の神殿に頼むか何かするだろう」
「けど、カリスの持っている石が、滅多にない珍しいものなら、神官が取り上げることだって考えられるだろ? そうしたら、カリスは自分の身元を知る手がかりをなくことになるんじゃないのか?」
 荷物をまとめ終えたカスガは、やっとオギと向かい合う。
「そうかもしれないな。しかし、私が何かしてやるいわれがどこにある?」
 カスガは、いつも自分と深い関わりのない者には、自分から関わろうとしない。はあ、とオギは溜め息をつく。
「行くなら、お前一人で行ってくれ。俺は神殿なんか行かないぞ」
「わかっているさ、お前が神殿嫌いだということを」
「そういうお前だってそうだろ。今は祭りの準備で土の神殿以外の神官たちもきているんじゃないのか?」
「わかっている」 
 カスガの顔が嫌そうな表情になる。
「よく考えろよ。お前は、他人と関わりたくないだけで、神殿に行くつもりなんだろうけど、どうするかは本人に決めさせるべきなんじゃないのか?」
 オギは、それだけ言うと部屋を出て行った。カスガは、しばらく間、じっとオギの言葉を反芻していた。

 

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